がぁ〜このひとりごと

 一言居士(いちげんこじ)

性格に影響を与えた人① 母親 番外編

 

こんにちは。

一言居士(いちげんこじ)のがぁ〜こです。

f:id:gaaaaako358:20240918095359j:image 9/18  00:11 夜中なのにとっても明るく力強い月

 

久しぶりに母のお話を。

(いつも皆さんに役立つ話でもなくすみません )

 

というのも、一昨日16日が、命日!

4年前、2020年コロナ流行真っ只に旅立ってしまった母。

 

先々週8日に私の娘夫婦(北陸)、息子(東北)が来ていたので、弟夫婦も東京からきて、みんなで母の墓参りをしていたのに、16日弟夫婦2週続けて来てくれて、命日の墓参りを😅

 

いつもまめにお参りに行ってないのに、母もさぞかし、びっくりしていることでしょう。

 

そこで、みんなで母の話を久しぶりにして・・・

 

そんな話をいくつか

①エアコン事件

今年と同じで2020年の8月9月もとんでもなく暑く、9月からお願いした介護ベットを入れる部屋のエアコンが壊れているので、8月末に弟が家電量販店で注文を。

 

混んでいて結果的には亡くなる1週間前くらいの日にやっと工事にきてくれたのは良いのだけれど、元100Vのエアコンなのに、弟は200Vのエアコンを購入!

結局その日設置できず🥹

なんと、別日に200Vの工事をしてからのエアコン設置になってしまうという大失態⤵️

 

エアコンのある他の部屋にベッドを移動するという考えは、皆なかったらしく、(介護ベッドって、びっくりするくらい重たいからか)、結局、母は新しいエアコンの風は浴びることなく💧

 

 

また、来てくださった母の友人にも暑い思いをさせてしまいました。

 

はぁ〰︎なんてバカな!可哀想な母と怒っていたわたしですが、仕方がないと言えば仕方がない⁈ かと。

和室8畳二間続きなので、広いから勝手に200Vだと思ってしまっていたらしく。でも2間続きで使うのは集まりがある時だけ、年に数回だからか、100Vのエアコンで事が足りていたようで。

 

この話は一生言われるね!と弟は覚悟しています!

 

 

②私を待たずに逝った母

最期の半年、コロナで世の中ピリピリムード。

母の病気がわかってからは2か月一度は帰郷していたのに、学校の事務室勤務の私は、県外への移動の自粛やまた私が母も菌を持ち込んでも、とずっと帰れず。

 

緊張が少し落ちついた8月に帰郷

北陸新幹線は、ガラガラ💦

東京駅まで、怖いくらいがら〰︎んと💦 ほんとに異様な雰囲気でした。

 

半年ぶりに会えた母は、痩せているのにお腹だけ出ていて・・・あまりに様子が変わっていてびっくり‼️ この時は腹水が漏れて高熱を出し次の日に入院。

 

そして9月16日。

午前中、急に血圧が下がっているから念のためと、訪問看護の看護師さんから仕事中の私に連絡があり、動悸が止まらないまま帰郷の準備し北陸新幹線に・・・

私の到着を10分待たずに旅立ってしまった。

 

もともと次の日17日から7日間帰る予定だったのに、母は、なぜ私を待ってくれなかったのか? 

最後に交わした言葉はなんだったっけ?

ありがとう、とも言えなかったし、

・・・・・・・・・・・・

色々考えましたが、きっと母は私に弱っているところや苦しい顔とかを見せたくなったのだろうと思うことにしました。

なので、私の中の母は、世話好きで明るい母のままです。

 

③他いろいろ

結局、最後まで自分のこと、家の事がほぼ出来ていましたが、ガン末期ということで?介護認定が9月にされ、手すりとかの場所を業者がしていってくれましたが、工事は生前に間に合わずとか、

 

亡くなる3日前の日曜日、弟夫婦とスーパーでカートを杖代わりにするもちゃんと歩いて買いものしていたこととか、

その日、弟が携帯のビデオ通話をして顔を見て話したこととか、

 

亡くなる前日も夕食を用意ができていたこととか・・・

 

 

などを思い出して父、弟夫婦と語りあった命日でした。

 

 

最後までしっかり生きた母、本当に強い母!でした。

    

 

 


今日生かされていること、またこんな私のブログを読んでいただいているのも当たり前でないことに感謝し、また次回…